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神戸の街が忘れなかったこと/阪神大震災から20年

1月17日で、あの阪神大震災から20年。
神戸を中心に、多くの追悼記念行事が予定されている。
 

        <神戸海洋博物館と神戸ポートタワー>
 
 
震災が起きた日、転勤族の私たちは群馬に住んでいた。
息子はまだ2歳で、朝の幼児番組を観ていた。
 
 

     <今も当時のまま残される神戸港震災メモリアルパーク>
 
 
そのため、他の番組がすべて特番に切り替わっていたのに、
未曾有の大災害を遅れて知った。
 

       <異人館、ラインの館に飾られる当時の写真>
 
 

             <ラインの館>
 
あのころ関西は、私たちには、遠いよその土地だった。
 

 
 
その後、成長した息子はどうしたことかジャズにのめりこみ、
毎年夏の遠征は、ジャズの街、神戸。コンクールに出場した。
 
 

              <北野天満宮>
 
 
時が流れ、夫の転勤先は大阪。
私もやってきて2年。
私の勤務先は、実はもともと神戸にあった。
震災で建物が崩壊し、大阪に移転したのだ。
 
 

<北野天満宮から神戸の街並み>
 
 
当時、職場の上司は、被災地で救援センターを立ち上げた。
そこへ救援物資を週末ごとに車で運んだのが、
大阪に住んでいた私の叔父だった。
私が今の職場に採用されてから知ったのだった。
今は亡き叔父と、上司の深い絆。
 
 

 
土地と、人との縁を身を持って知った。
 
 

            <メリケン波止場>
 
 
神戸の皆さんは、この時受けた全国からの支援を
今も忘れることがない。
全国で災害が起きるたび、募金活動をし、支援のお返しをし続けている。
 
 

      <慰霊と復興のモニュメントの皇后陛下御歌>
       笑み交わし やがて涙のわきいづる 
             復興なりし 街を行きつつ
 
 
東日本大震災で、放射能のため自宅に帰れなかった地域のうち、
帰宅の許可が下りた地域がある。
私たちは良かったと思ったけれど、実はこの地域の方たちには、
国からの支援金が打ち切られている。
帰りたくても自宅がない。家族もいない…。
こうした皆さんの経済的支援を続けているのも神戸の市民団体なのです。
 

            <1.17 希望の灯り>
 
「復旧」ではなく、前以上の街をつくるという意味で
「復興」と言う言葉を、神戸の皆さんが意識して使ったそうだ。
 
 

 
1月17日。
神戸とともに、東日本の復興を、心から願う一日です。
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コメント

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No title

くるみぱんさん、おはようございます♪
あのとき、くるみぱんさんは大阪に
お住まいでしたか!?
それは怖い思いをされましたね…。

神戸のみなさんも、あの震災で
多くの方が人生が変わりました。
東日本の被災された方へも、
まだまだこれからも支援が必要だと思っています(*^_^*)

No title

ikurou kakiさん、おはようございます♪
テレビで今年はいろんな特集を組んでいますね。
「復興」という言葉を、神戸の皆さんが選んで
使い始めたということを私もテレビで
知りました。
当時は、本当にテレビを観て胸が締め付けられましたね…。

No title

サブチャンさん、おはようございます♪
あのとき、サブチャンは山梨におられましたか!
群馬も震度3でしたが、普通の深度3より揺れて、
棚の上から小物が転げ落ちたことを
覚えています。

神戸の皆さんの復興をうれしく思いますが、
同時に、東日本の復興への
まだまだ長い道のりを思います…。
忘れないようにしなければなりませんね(*^_^*)

No title

月日が経ってもあの揺れは忘れません^^;;
我が家も壁の一部が落ちて、激しい揺れになすすべもなく子供を抱いて・・・
水道が出なくて、給水車の前に並んだ事、次の日に夫はあの斜めになった高速道の脇を通り、神戸の上司の家へお手伝いに行き、夜遅くに帰宅した
事、部屋の中が斜めになり、平衡感覚がおかしくなった・・・と夫の言葉など
今もはっきりと覚えています
災害が起きないように~~!!と願う事しか出来ないけど、忘れない事も大切ですよね…

No title

こんにちは。

震災の二年ほど前に両親と神戸に旅行をして六甲山の宿に泊まり街並みや異人館なども訪問したので驚きテレビにくぎ付けで被害の大きさに驚きいまだにはっきり思い出す光景画面です。
今朝の新聞も特集がありますが0歳児で亡くなった方が
いましたがもう20年なのですよね。
母は関東大震災の経験もありますがどこでまた起きるか怖いことです。
皆様のご冥福をお祈り申し上げます。
・・・・・☆

No title

こんにちは(^-^)

阪神大震災、彦根もかなり揺れました
たくさんの悲しみを飲み込んで今があるのでしょうね

No title

み~さん、こんばんは~♪
ご主人はあのとき、神戸までお手伝いに
行かれたのですか!?
道路が寸断されているため、神戸に入ることも大変だと報道で言ってましたね。
ご自宅も壁がはがれるなんて、大変な
揺れだったことでしょう。
ほんと、もう二度と災害が起きないように、
願います(*^_^*)

No title

コルチカムさん、こんばんは~♪
旅行したところが街がつぶれるほどの
被害にあったら、知らない場所より
一層のショックを受けますね。
私はあの、高速道路が横倒しになった映像を
観て、最初は東京かと思いました。
お母様は関東大震災にあわれたのですか…。
いろいろなことを乗り越えられたのでしょうね(*^_^*)

No title

minamiさん、こんばんは~♪
彦根も近いからずいぶん揺れたのでしょうね。
忘れられないことでしょう。
今日はたくさんの報道がありましたね(*^_^*)

No title

あれから20年ですね(過)
日本住んでいる以上、大地が揺れることは避けられませんが・・・(震)
でも突然、前触れもなくやって来るんですよね(怖)
我が家の壁紙は剥がれたまま・・・また、いつか、という諦めからです(嘆)

No title

あれから20年も経ったのですね。

揺れは感じなかったけれど、勤務中も点けたままにしてたTVでその後に起こった火事の惨状を見ながら<地獄>のようだ…と感じました。

身近なところにも被災され、地震のない山口に…と引っ越してこられた方も…。
被災者への手当もいろいろ差があったようですが、怒りながらも『命があっただけ良かった』と自分をなだめておられます。

No title

よこぼり365さん、こんばんは~♪
初めてよこぼろ365さんのブログをお訪ねしたとき、
屋根にブルーシートがかかり、
修理の様子をよこぼり365さん特有の軽快な
文章で綴っておられましたね。
立派なお宅なのに、たいへんな被害だったことと
思っています。

No title

よねちゃんさん、こんばんは~♪
あのとき、テレビで初めて映像を見たとき、
関東大震災かと思ってしまったら、神戸で
本当にびっくりしました。

山口に引っ越された方もおられるのですね。
被災された方は大変な思いをなさったことでしょうけれど、中国地方は比較的地震が少なく、気候が良くて
住みやすいところだと思います(*^_^*)

No title

あれから20年…

街並みは復興していっていても
みなさんのココロからの復興は
なかなか震災前には戻りません…

被害に遭われたみなさんの心境には
いろんな想いが宿してると思いますが
こちらに至っては 報道よりかは
建物の倒壊までの被害には至らずに
当時勤務していたガス屋さんの
緊急点検を遂行した際にも 一部
改善をしなけりゃいけない箇所は
ずいぶんありましたが それ以外は
点検も済み 夜中には 我が家に
帰宅できましたからねぇ…

ただし 一部地域は 映像のような
壊滅的な被害になってしまいました…

No title

よっちゃん、おはようございます♪
昨日、テレビでいろいろな報道が出ていましたが、
今でも涙をこぼす方がたくさんおられ、
心の傷の深さを想わされますね。
私たちは一口に20年と言っても、
ご家族を亡くされた方々には、
過去の過ぎた話にはならないのですよね…。

よっちゃんのところも、地理から考えて
相当な揺れだったことでしょう。
今もご家族もご自宅もご無事で、
本当に良かったと思います。
当時はライフラインにかかわる重要な
お仕事で、よっちゃんが来てくれたことが、
地域の皆様にはありがたかったことでしょうね(*^_^*)

No title

内緒さん、おはようございます♪
当時の報道で、ダイワハウスは一軒も
倒壊しなかった、というようなことを
聞いた記憶があります。
それも、やはり屋根に関係があると
考えられたのでしょうかね…。
先日、長野の大地震であまり建物の倒壊が
なかったのは、柱を多くして雪の重さに
耐えられるように作っていたからだと
言われてましたね(*^_^*)

No title

テレビで見たあの時の神戸、未だに覚えています凄まじい光景を・・・・

No title

たまっちさん、こんばんは♪
テレビで観たあの光景、誰の心にも刻まれ、
忘れられませんね…。

No title

息子さん、まだ2歳だったのですね。
可愛い盛りですね。
いろんな因縁がおありだったのですね。
只合掌!だけです。

親戚でも、あの地震で、
恋人が消えてしまい、
もう誰とも結婚はしないという人が出ました。恋人はデベロッパ-に勤めていて、
秘密裏に神戸に送り込まれたそうです。

今は結婚をして幸せに暮らしていますが、災害は非情なものでした。
ナイス! https://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s467.gif">

No title

コケモモさん、コメントありがとうございます!
ご親戚の方に、そんな方が
おありでしたか…。
本当に、人それぞれ、
あの時の因縁や忘れられないことが
刻まれていますね。

2歳の息子は大きくなり、
大学受験のときに東日本大震災が起こりました。
あんな震災が、生きている間に何度も
起こるとは、思ってもみない悲しいことでしたね。