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名にちなむ花よ~父の墓参、母の覚悟

*****七歳の春母を亡い、その葬送の日(略)父は云ったではないか。「しゃんとして歩けよ」と。今ここに父を送る野道は細く、人には愛がある。私は湧きかえる感情を畳んで頸を立てて歩き、喪服はさやさやと鳴った。つゆ草が一トむら。名にちなむ花よ。*****幸田文「父・こんなこと」より
 

 
文豪、幸田露伴を送ったときのことを書いた、露伴の娘、幸田文の文章である。
今回の帰省は、実は父の墓参が一番の目的だった。
もとより、国葬の話まで出た文豪と、比べるべくもないのだけれど、
父の葬儀に人が来てくれるのかと思いながら、訃報を受けたあの日、帰った。
 

                  <平戸の海は青い>
 
どんな人でも、生まれたときと死んだときだけは褒められるという。
けれど、父はお世辞にも、立派な人だったとは言えなかった。
 
子どもの頃、運動部にいた私がうっかり「腕が痛い」なんて言おうものなら、
「痛いような腕なら切って飛ばせ」とののしられた。
長じて、私も「首が痛い」と言った父に、優しく言ったものだった。
「あら、痛いような首なら、切って飛ばせば。うふふ」。
 
 

             <生月の段々になった田んぼ>
 
家族葬にしたらいいのにと思いながら、帰った私は目を疑った。
家の前には、花、花、花。花輪が、並びきれないほど立ち並んでいた。
近隣のほとんどの人々が集まってくれ、火葬場にバスで行ったほど。
故郷の人々は、愚かなひとりの男の死を悼み、同情を寄せてくれ、
最後の最後まで、見届けてくれたのだった。
 

           <平戸、安満岳の鯛の鼻自然公園より>
 
本当を言うと、この時まで、私は故郷が嫌いだった。
故郷の自然は愛せても、人々は愛せないと思っていた。
人々は、互いに懐深く入り過ぎ、言わずもがなのことを言い、
やらずもがなのことをやり、互いに傷つけあっていた。
けれども、父の葬儀に立ち会ったとき、
これが、良くも悪くも私の故郷なのだと納得したものだ。
 

 
時は経ち、母と弟が、父の為に立派なお墓を建ててくれたので、
遅ればせながら、墓参の帰省。
「まったく、お父さんにはもったいないわね~」。
また、家族で悪口を言いながら、
そして心中では墓参が遅れたことを父に詫びて墓参り。
 
母は、お墓の前に立ち、私に言った。
「私もこのお墓に入るんだから。葬式代も貯金してるからね」。
 

       <母が飼っているねこ、名前はチビ(笑)赤ちゃんの時から飼ってるから>
 
この立派なお墓は、母の意地だったろうと思う。
生涯、自分のことも人のこともできない父の尻拭いをしながら、
最期まで父の後始末をし、人生と困難に仁王立ちになって立ち向かってきた母。
彼女らしく、きっちりと自分の最期まで覚悟をしている。
 
しかし、父からの遺伝の病気をもらっている私と妹は、病気の巣。
母に笑って言ったものだ。
「いや~、お母さんを見送ってあげれればいいけど、
誰が先に入るかわかんないよ」。
だって、母は72歳。
健康診断をしても、悪いところがひとつもない(笑)。
 
           ***本当はしんみりと書こうと思ったのですが、母を登場させると
             どうしてもコミカルに…。親の悪口をいっぱい書いたので、
             コメ蘭は閉じておきます(笑)***
 

 
  <帰ってきたら、春先に10センチほどの苗で買ってきたクレマチス・モンタナが咲いていました>
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