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脳梗塞義父の人生の質

脳梗塞で入院していた義父が退院した。
六月に救急車で運ばれた時には、言葉もうまく出ない状態。
右半身に麻痺があった。
今は、普通にしゃべることができ、
右半身の麻痺は残るものの、状態の良いときには何とか、ではあるけれど、
お手洗いに行ける程度。
二度目の脳梗塞ということを考えれば、良く回復したと思う。

義父の場合、病院の指導では、徹底した薄味での食事を勧められた。
家族が薄味の食事を用意するのは、もちろん言うまでもない。
濃い味が好きな義父にとっては、ほとんど味のない食事。
今日も、明日も、あさっても。

一日のほとんどを寝て過ごす義父は、目がほとんど見えない。
老人性の網膜剥離のためだ。
テレビを聴くか、ラジオかCDを聴いている。
そんな義父にとって、食べることはどれほど大きなウェイトを占めるか。
40代、50代なら、これから先の長い健康のため、
薄味に慣れることは当然必要なことだと思う。
だが、80歳近い義父にも、徹底した薄味が必要なのだろうか。
たまに、義父の好きな味を食べることは、いけないことだろうか。

医師は、患者をより長生きできるよう治療し、指導する。
それが医師の使命だから。
けれど、患者は生きてさえいればいいというわけではない。
人としての、より幸福な生き方を模索するのが家族ではないか。
人生の質を考えるべきでは?
私ならば、そう思う。

義父に、少しでも長く生きて欲しいと思う。
残された人生を、幸せに生きて欲しいとも思う。
「おいしく食べる」ことは、大きな幸せだ。
ただ、義母や夫の兄弟に対して、「残された人生」という言葉を、言えないでいる。

幸せの形は、見ることができない。
そうして、人にはそれぞれ、違った形の幸せがある。

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No title

医師は延命の為の治療をする
手の施しようがなくなれば…ホスピス。母の時もホスピスの予約を促され足を運んだが、二件、三件とまわるうちに…悲しくなった
家に帰ろう…母もそれを強く望んだし私も強く望んだからだ
私が生まれた時、母は同じように手をかけてくれたではないか…
母が亡くなる時くらい手をかけないでどうする(T^T)
帰宅してからの呼吸がますます小さく小さくなる最期の晩に添い寝した。私を指名したかのように
病に倒れてから強く逞しい母は全てを私に委ねるようになっていた。
大好きな美空ひばりの歌を歌った…愛燦々と♪この身に落ちて…わずかばかりの運の悪さを♪悔やんだりして~話す事も目を開ける事もない母に…
お母さん…ありがとう…もう楽になるね…痛くないよ…苦しくないよ…淋しいけど
また次も私を産んでね…って耳元で囁いた。母の閉じられた目には泪がにじんでるではないですか
(*v.v)。。。話が出来た
余命がある病、長くはない命を一番輝かせる形にもっていく事は
家族の想いと個人では温度差があるのかもしれない…
私はどうしたいのか…考えよう!

No title

私の友人の妹さんも、ロンさんのお母様と同じ病、道のりを経て亡くなりました。最期のときを迎えるまでの一年間、壮絶なご家族の闘いを傍で見ました。
「ホスピスを探す」というのは、本当に言葉にできない辛さだろうと思います。

今は、人に世話にならずに死んでいく、みたいな風潮が強くなってきていますが、ロンさんのように生まれてきたときは親の手を煩わせ、亡くなるときはその子が看取る。それが人のあり方の基本ではないかな、と私は思います。
今は、「個」で生きていくから、そういう形もまた、難しい時代になったのかもしれませんね…。